国内外250種類以上をそろえるジン専門のバー。日本酒・千福の三宅本店(呉市)が造る「クラフトジン瀬戸内 檸檬」を監修した。信家崇史代表は、
「ジンといえば海外メーカーの数銘柄が有名ですが、2000年ごろから独自の風味を加えたクラフトジンが登場し、近年の世界的な流行につながりました。続々登場する個性豊かなジンに出合ってほしい」
ジンにはまって各地の酒場を訪ね歩いた後、19年に開店した。定番のロックやストレート、ソーダ割りのほか、最近のジンで新たな風味に仕立てたギムレットやホワイトレディーといったスタンダード・カクテル、旬の果物を加えたカクテルなどを提供する。店でスパイスや植物などを漬け込んで作るオリジナルジントニックもある。1杯1000円程度〜、チャージ料なし。
「老若男女それぞれにきっと気に入っていただけるメニューがあるので、気軽に飲みに立ち寄ってください」
2017年にクラフトビール製造販売の会社を設立し、安佐北区亀山に醸造所を構えています。直売所、飲食店、酒販店などで販売するほか、19年にJR可部駅東口に「広島北BEER BAR」、今年5月に福山駅前に「広島ノースボール福山店」をオープンしました。
広島ドラゴンフライズの浦伸嘉社長と会食する機会があり、コラボ商品を提案したところ、営業部長が地元の後輩だったこともあり話が進み、20年にB1参入記念の「B1 FIRST SEASON記念ビール」を発売しました。フットサルの広島エフ・ドゥの本拠地で、自社のビールを販売したこともあります。将来は、広島のいろいろなチームとコラボしたビールを作りたいですね。
小学校から大学まで野球を続け、広島工業大高校(西区)時代は投手で県大会ベスト8に。中部大学でも野球部でしたが、故障で退部しました。現在は地元の三入東体協でソフトボール部に参加。投手として腕を回転させるウインドミル投法で105キロ出し、打者との距離が近く野球の体感では140キロくらいに感じると言われました。仕事が忙しく練習に参加しにくいですが、チームは区大会優勝、市大会準優勝などの戦績を挙げています。生涯スポーツで、地元の人と公私に渡って親しくなり、試合後に自社のビールで乾杯することもあります。週末には、小学5年、3年の息子が所属する少年野球「三入クラブ」のコーチも務めています。できないことを熱を持ってやると成長する過程が面白く、子どもたちから学ぶことが多いですね。
右か、左か。岐路にぶつかって一瞬で決断を迫られるときがある。考えに考え、ようやく決断することもある。いずれにせよ、社長の采配は最終決定。みんなが「よし、やろう」と奮い立つかどうか。
マツダを主力に、工場メンテナンスなどを手掛けるメンテックワールド(東広島市)が10月で創業60周年を迎えた。新たな事業へ挑戦し、次の時代に立ち向かう構えだ。
車産業は百年に一度の変革期に直面し、AIなどの技術開発が急ピッチで進む世界の潮流をつぶさに視察した小松節子社長は、
「労働生産人口が縮小する日本の事情も踏まえ、時代が求めるロボットに着眼した」
瞬く間に10のプロジェクトチームをスタート。いろんな専門部門から3〜6人を抜てきし「T&B(テクノロジー&ビジネス)カフェ」と命名。カフェにはプロジェクトメンバーが集まり、アイデアを生み出すという意味を込めた。
各チームで統一テーマを掲げる。例えば、介護用ロボット、クリーンエネルギー、消毒用洗浄機システム、スマートシティ、バーチャル、テレワークナビなど。さっそく成果が出た。細菌やウイルスを除去するデンマーク製の自律走行ロボット「UVDロボット」の第1号を、このほど広島国際空港に納品した。新型コロナウイルスにも効果があるとし、感染予防などに心を砕く空港にとって力強い味方になってくれそうだ。中四国の空港では初めて。
紫外線UV‒C光を照射して細菌やウイルスを99.99%除去するという。完全自立移動し、センサーで人や障害物を自動回避。タブレットなどで操作できる。昨年末に同ロボットの販売代理店を取得。レンタルなども手掛け、海外で実績のあるオフィス、ホテル、病院、学校などでの需要を見込む。
2月に本社工場1階の一角に「ロボットセンター」を開いた。UVDロボットほか、単調で危険な仕事から人を解放する協働ロボット「ユニバーサルロボット」、介護など働く現場での負荷軽減や日常の力仕事をサポートする「マッスルスーツエブリィ」、自社開発の粉塵(じん)抑制装置や剥離洗浄機などの製品を展示する。
本気度が伝わったのか、マツダ常務執行役員を経て、トーヨーエイテック社長や広島空港ビルディング社長執行役員などを歴任し、民営化した広島国際空港取締役を務める山本健一氏が4月からT&Bカフェ本部長に就任。週に1回ペースでプロジェクトを指導する。ぜひうちに、と小松社長が口説いた。次第に戦闘態勢を整える。
度胸が据わっている。監査役、取締役、副社長を経て2003年に社長就任。1990年のフィリピン合弁会社設立に続き、2013年にメキシコ、16年にマレーシア、19年にアメリカでそれぞれ100%出資の現地法人を設立。コロナ禍や半導体の調達困難などから自動車関連工場の休業もあったが、その間を活用し、プロジェクトの集中度を高めた。19年には企業主導型保育園「インターナショナルキッズコミュニティ」を開園し、ほぼ満杯という。
経営に合理性を欠くことはできない。むろん理もあるだろうが、そうした中で特有の直感が働くのかもしれない。飛躍を遂げようとしている。